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我は心に於て亞細亞東方の惡友を謝絶するものなり。脱亞論 保守まとめのまとめ読み

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朝鮮人による日本人虐殺事件『和夫一家殺害事件』

http://www.youtube.com/watch?v=https://youtu.be/SIQPRGvgQcc

 

■事件概要

日韓併合時代、韓国に移り住んでいた『和夫一家』が、日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害された事件。

■事件が起こるまで

キム・ソンス君の証言

親日派のための弁明

2002年に、韓国で出版された本で、邦題が「親日派のための弁明」という本があります。
著者は、金完燮(キム・ワンソプ)という人です。
この本は、韓国で有害図書の指定を受け事実上発禁処分となりました。

この本の中に、「キム・ソンス君の証言」という実話があります。

引用
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1372.html

●以下は、「キム・ソンス君の証言」の引用である。

貧しい小作人が食料がないと泣きつけば、喜んで食べるものを分けてやったし、村で誰かの葬礼があれば、家族総出で駆けつけ、食事の支度はもちろん、自ら慟哭して、悲しみを分かちあうこともあった。このように、和夫は人間への温かい愛情をもった、真の人間だった。

出典【和夫一家殺害事件】事実を「デマ」にしてしまわないよう伝えていきたいこと〜日本の敗戦直後、朝鮮半島の各地でおこった虐殺劇 | 荒んでいく世界

和夫は近くに行き場のない孤児がいると、連れ帰って面倒を見ていたがその数は一人、二人と増え、四、五年たつといつのまにか私設孤児院規模にまで増えてしまった。

けれども、和夫夫婦はこれら孤児たちを家族のように愛し、自ら喜んで彼らの父、母を称した。和夫の家族は、ふだん、このように朝鮮人を愛し、日本軍国主義の簒奪に憤慨するような人々だった。

出典ねずさんの ひとりごと 和夫一家殺害事件http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1372.html

しかし、彼らは、日本の天皇が降伏宣言をした1945年8月15日、自分たちが育てた朝鮮人孤児たちにより、凄惨に殺害されたのだ。

 

■事件の詳細

その日、和夫さんが実の子のように育て、東京帝国大学まで留学させていた朝鮮人Aを中心に、和夫さんの家で教育を受け、成人するまで育ててもらった朝鮮人青年達が、カマとツルハシ、シャベルをもって、和夫さんのもとに押しかけた。

出典ねずさんの ひとりごと 和夫一家殺害事件

和夫:(穏やかな目で)なんでこんなことを、子どもたちよ。

A:チョッパリ! 日本へ失せろ、失せちまえ。

B:死ね、チョッパリ、シッパルノマ。

出典【和夫一家殺害事件】事実を「デマ」にしてしまわないよう伝えていきたいこと〜日本の敗戦直後、朝鮮半島の各地でおこった虐殺劇 | 荒んでいく世界

間髪入れず鍬が、和夫の後頭部に振り下ろされたのと同時に、数多くのスコップと斧が彼の体をずたずたに引き裂きはじめた。

このとき、和夫の妻が我慢できずに飛び出してきた。それまで黙っていたCは、和夫の妻を見て、彼女の長い髪をつかみ、庭の奥まったところに引きずっていった。

出典韓国の女子高生に伝えたい「和夫一家殺害事件」:イザ!

そして、なんとその和夫の孤児達13人は、一週間前まで「お母さん」と呼んでいた“彼女を強姦し始めた。

彼女はひどい集団強姦の途中で虐殺された。

朝鮮人Dは、普段、お母さんと呼んでいた彼女の“全身をめった刺し”にし、それでも足りずに“内臓をかき出して”撒き散らした。

出典ねずさんの ひとりごと 和夫一家殺害事件

■事件のその後

和夫には、一人の幼い娘がいた。ふだん模範的でいい子だったヒミコさんは、放課後、家に帰ってきて、両親の身に起こった惨状を見、気が触れてしまった。

出典【和夫一家殺害事件】事実を「デマ」にしてしまわないよう伝えていきたいこと〜日本の敗戦直後、朝鮮半島の各地でおこった虐殺劇 | 荒んでいく世界

その後、孤児となった「ひみこ」は、食べ物乞いに村を回ったが、誰一人見向きもせず、知らないふりをした。

出典ねずさんの ひとりごと 和夫一家殺害事件

結局,彼女は9日後、村の橋の下でやせ衰えた死体となって発見された。当時、ヒミコは小学校6年生の幼子だった。

 

・参考サイト:NAVERまとめ